【不定期更新になります】
当初はほぼ週1回の更新でしたが、ネタを意識すると縛られてしまうし疲れるので、
気が向いたときに撮ったものを1点ずつ出してく方向にしようかと。

2015/10/29

三笠 奔別川沿いの坑口 後編

斜面を上がってみますと、そこには。坑口です。


人幅ほどしかなくて狭いもんです。 左右の穴は奥で合流しています。

横から。こっちからの方が入りやすい。

中から。右側が正面です。

来た方向(最初の坑口)を向く。廃道でスムーズにつながっているわけではなく、斜面で断絶されているために下からでは見えないのです。

それでは中へ。左の入り口から。

右を向く。この明かりは右の入り口からのものです。

 右の入り口から入るとこんな感じ。左に曲がって合流と。

リュックに自転車のライトが入ってたんで、それで照らすとすぐ崩落閉塞しているのが確認。それでフラッシュを使って撮りました。

これくらいで引き上げるとします。

三笠 奔別川沿いの坑口 前編

今回の場所は、以前に「対岸の遺構」として記事に出した場所の付近です。車道から川の方へ降りる旧廃道をそのまま進むと廃橋がありますが、その先も新しいピンクテープが点々と。対岸廃道にもありましたんで、何らかの調査が入っている様子。

今回は川の水量が多く、流圧込みだと流される可能性が大きかったんで対岸に渡る事は考え(られ)ませんでした。ピピッときたのは支流の向こう。対岸に渡らないとなると、極力、靴は濡らしたくないと思い、ルートを慎重に選びました。図の青線のルートで何とか水没せずに目的地へ。


まずは、以前の記事で「炭鉱鉄道跡かも」と思った対岸への廃橋の近くへ。実際は、普通の道路橋でしたか。

廃道の先に、

建物の基礎が残ってます。この辺はピンクテープの人が刈り払いしたようです。

斜面に張り付くような遺構を発見。

接近しますと、四角く切り抜いたものを後で塞いだような跡があります。

右へ回り込むと、坑口ですね。硫黄の臭いが強い。水没したくなかったし、ヘッドライトを持ってこなかったので奥の状況は不明。
後で判明しましたが、ここは中ノ沢坑だそうです。

L字に折れ曲がる感じで斜面に刺さってます。

とりあえず河岸沿いに移動。コンクリの塊。

確認したかったのは、炭鉱鉄道の渡河地点。時代が古すぎて完全消滅なのか。川は渡れそうに見えるかもしれませんが、最深で1mはあるのでね。

で、下からでは何も見えなかったんですが、ここでピピッとサイドエフェクト発動。斜面の中段に平場がある。登ってみると・・。続きます。

2015/10/22

ミニレポ: 手稲鉱山元山・林道脇の遺構

初夏に元山をざっくり探索した時すでに、「この上に何かある」とサイドエフェクトが働いた。
藪が薄くなってきたし近場で手頃なので、 とりあえず行ってみるかと。

場所はココ。自然歩道に入って200mくらいの林道脇。これは皆さん撮ってるので、ネットで見た方もあろうかと思います。パッと見は斜面が急なのでこれしか無いようにも見えますが。右脇から上がりますと、2段目がある。

この辺は足元がボロボロと崩れやすく、木も朽木が割と多いんで、3割増しで慎重に進みます。

上から。

 横から。

 そのすぐ上。埋まってますね。



 蜂の巣は使用済み。

この上に3段目の平場と廃道が横たわってますが、平場は岩がゴロンとしているだけで、ほとんど遺構は無し。これくらいですね。幅1mくらいでボルトが飛び出ているので何かの土台か。

その廃道は山側の方で林道と合流しています。笹で入り口が分かりにくいですが。足元の安全のためにも帰りは廃道から。

もうちょっと何かあると思ったんですが、どうもこれくらいのようです。

2015/10/13

国道37旧道 豊浦~大岸

昔の地形図を用意していませんが、点線道として描かれているので道のラインは分かるかと思います。しかし実際には、大岸側の半分は道が消滅して笹薮の海といっていい状態です。

豊浦駅からすぐに国道には上がらずに線路より下側の下道をずっと進んだ方がよいでしょう。末端近くで国道に上がるので、そのままクロスして高速PAの裏に入り口があります。ちなみに国道にくいっと上がるカーブ部分をそのまま直進するラインが豊泉駅に向かう国鉄旧線の路盤敷です。

最初だけ少し舗装されてますが、これは高速を作る時に現道と接続するために付け替えられた部分ではないかと思います。

入って少し進むと、右手に採石したような場所が。露天掘り鉱山? タイヤや丸めたフェンスなどの人工物が捨てられていました。

その先から藪。人の幅ほどのシングルトラックは確保されていて、さほど進むのに困難はありませんでした。

写真点数が少ないですが、同じような藪化した状態がずっと続き、景色として特徴が無いのと、雨が降ってきたので撮りませんでした。地図に書き込んだ通り、途中から湿地化した部分もあります。崩落はなく、道の状態は礼文華山道に似ています。 倒木もいくつかありましたが、ノコで人幅ほどは切られていました。マウンテンバイクと思われる跡もありました。多少の人は入っている様子。


これは分岐点すぐ手前の、落ち着いてきた状態の道。人幅ほどは刈り払われているものの、途中はもう少しうっそうとしています。

分岐点。ここを右に曲がるのが、少し新しい時代の道です。国鉄旧線の豊泉駅との接続を考えたというのもあるでしょう。時代ごとに多少のラインの変化はあるかもしれません。

後半の地図です。分岐点以後は完全廃道状態に突入しますので、昔の道を散策くらいに考えている方は分岐点から外に脱出すべきです。

古道はこの写真の真ん中を直進ですが、すでに怪しいですね。少し先で一時的に道がはっきりしてきますが、その先で斜面広場のような空間があって松の苗木が植林されていたので、地滑りで斜面が流れてそこで道が絶えたのではないかと。

植林広場の先はGPSを使って位置を修正し、道を再びとらえた、と思ったら笹薮の海だったと。視界のない背丈ほどの笹薮がキロ単位で続きますし、脱出したくなっても現道や人里は近くにありませんので、経験の無い人は踏み込まぬことです。静狩鉱山を縦断突破した時よりひどかった。
腰から胸くらいの藪なら突き進んでも泳ぐ感じで進めますが、視界の無いくらいの長さになると笹が後ろに流れる前に新たな笹が絡んでくるので、絡みついて動けなくなり、足をしっかり上げて抜いて踏みつけてから進み直すの繰り返し。

これは腰くらいの高さまで落ち着いた区間だったので撮れました。左にカーブしてますね。この後また激藪となりました。

終点の500m手前くらいでやっと落ち着きますが、湿地あり。

大岸の集落が見えました。 石焼き芋の声が聞こえてきた。

終点で振り返ったところ。豊泉駅に行ったときに偵察して、この様子で騙されたのです。

昔の道路標識とか碑などがないかなと期待してましたが、その辺は何もなく、道の厳しさを考えると魅力は乏しい。私はもう二度と行きません。

2015/10/05

夕張 アートプロジェクト2015

今回は、撮る時も現像の時も、う~む・・・という感じでした。
ハルカヤマとは真逆に、あえて各作品を列べてガイドブックから転記します。その理由はいかに?

夕張のこれまでを瓶に。空の瓶は夕張のこれから。

炭鉱、その後の遊園地、そして現在、どのレイヤーにも人は足で立ち歩いていた。

たくさんの人の記憶。光が当たったり当たらなかったり。

 坑口神社。

炭鉱に上書きされた遊園地の跡地に隠されているドラマ。

炭鉱と遊園地のすれ違う記憶を結びつけるストーリー。

炭鉱と遊園地、切り離せない関係。

この場所の記憶と賑わっていた頃の想像のコラージュ。

現在と過去を行き来するパスポート。

過去の繁栄や賑やかさの「跡」

くるくる回る、炭鉱・遊園地・現在の3つの棚と、この地で見つけたtrinkets。

苔で浮かび上がるバイキングの支柱跡。

無事に帰ってきて、一緒にご飯が食べられる。

千の谷に多くの先人が去来して消えていった情景。

モス地蔵、千の谷バージョン。


先人が去来して消えていった情景を水面に表した、との事ですが、ハテ?流された?

 坑夫の進む道を照らした安全灯

 最後は、博物館の方にある石炭の大露頭でシメます。

この他にも、形のない作品、コミュニケーションアートとして、かつての高校のセーラー服を着用したガイドさんがいたそうです。残念ながら見かけませんでしたが、私と遭遇すると大惨事になったかもしれませんので(え?)、それで良かったのかもしれませぬ。